こんな人が代表として、宿をやっています

現若旦那 26代当主  星宗兵(ほしそうへい)

 このページをご覧いただきありがとうございます。自在館に少しでも興味を持っていただいて嬉しく思います。共に働く上で、一番大切なのは、「相性」だと思います。人間は感情の生き物。いくら、理屈で理解しても、感覚が合わないことは沢山あります。また逆に、合わないからこそ、一緒にやってみたいと思うこともあります。それも含めて、相性だと思います。こんな人間だよと、文章だけでも知っていただけたらと思います。

私の生涯をコンパクトに綴ります。基本的に頭が固く、根っからの体育会系。

 物心ついたときから、親は宿の仕事であまり家にいませんでした。祖父が野球好きで、グローブをお土産にもらったことをきっかけに、テレビ中継でやっているプロ野球選手に憧れ、分かりやすく「プロ野球選手になりたい」と思い始めます。

スキーも幼少期から始めましたが、テレビで野球選手の方をたくさん見ていたので、中学で野球一本に絞りました。 それと、スキー競技は道具だけで1シーズン30万円以上かかります。もちろん、そんなに毎シーズン買ってもらえるわけありませんが、毎年そろえる人は揃えてもらっていました。当時、小学生だった私は、「スキーは金がかかるんだ」と幼いながらに思い野球にしたという、都合のよい記憶は残っています。笑

 小中高と野球部で甲子園を目指し、高校では県内の強豪と言われるチームで主将を務め、それなりに努力を続けました。が、、、、残念ながら、野球の才能はありませんでした。才能がない!と、早めに気づけたことは自分を褒めてあげたいと思います。

 目指していた野球の道がなくなり、ありがたいことに大学にも行かせていただいた私は、「こんだけ我儘させてもらって、なにも形になっていないのはなんか嫌だな」と思い始めます。高校は野球を頑張りたいと、私立の強豪に入れてもらいました。おまけに、寮生活です。普通の高校生よりも、お金がかかった息子だと思います。そんなこんなで、少しずつ、我儘させてもらった罪の意識から、家業を継ぐという選択肢がチラチラと脳裏によぎりだしました。今思うと、親の陰謀かとも思います。

 大学生活が終わるころには、すっかり家業を継ぐということを決めていました。なんでかは覚えていませんが、東京で就職するときも「旅館を経営するために、なにを学んだらよいか」ということを考えて就職しました。選んだ仕事は「経営コンサルタント」。コンサル?と、よく仕事内容も理解していませんでしたが、経営の仕事が見れそうだ、なによりも、経営者の人にたくさん会えそうだ。という理由で選びました。ホテルや旅館に就職することも考えましたが、これから一生携わる仕事なので、最初くらい違う職種を見てみたいとも思いました。

 そんな社会人時代は、様々な経営者に会いました。主には中小企業の社長さん。東京で企業される様な方々でしたので、まあパワフルです。その方々から一番学んだことは「勉強してから始めたのでは遅い」ということでした。皆さん唯一共通したのは、万端の準備と経験を持って経営者になったのではないということ、若いころから、自分で決めて、場数を踏んで、今の姿があった。ということでした。ちょうど、父の体調不良も重なり、タイミングだと、3年が経ったタイミングで実家に戻り家業を継ぎました。当時お世話になった社長さんが、今でもよく泊りにきてくださいます。上司や、お客さんの当時の印象は「超真剣にド真面目に、全然違う方向にボールを投げちゃう奴」だ、そうです。要するに、「一生懸命やるけど、的外れな、残念な奴」です。全然褒められてない。

 宿に帰ってきてからは、もう無我夢中でした。お恥ずかしい話ですが、当時2014年頃は、数十年内で最も業績の悪い時期でした。恐らく、帰ってきた年が最悪期です。お客様「1人」の日もありました。スタッフは10人くらい出社します。正直「え?大丈夫これ?」と思いました。とにかく、これじゃマズイ。現場に出て、手探り状態。サービスの質を上げなければ。料理の質を上げなければ。どうすればお客様が増えるんだろう。あれこれ試しますがアンケートのお声なども一向に良くなりません。対応がまずく、夜中にお客様のお部屋にお詫びに行ったこともありました。なんとかしようと厳しくスタッフに言えば言うほど、お客様のアンケートに「お客に聞こえるような声で、スタッフを叱っている人がいて気分が悪い」とお叱りを受けたこともありました。本当に、心の底から、どうしたらいいんだろう。でした。

 ある時ふと、常連さんの食事のことを考えていた時でした。当時は、山菜懐石料理と湯治料理、2種類のコースがありましたが、常連のお客様はほぼ9割、湯治食を召し上がっていました。連泊専用のお食事で四品だけ、特別なものは作りませんが毎日献立が違うというものです。皆さん連泊されるのでこちらのオーダーが多いわけです。また、3泊以上でないと頼めなちというシステムでしたので、「1泊だけど、なんとかこの食事で頼めないか?料金は懐石料理と同じ値段でいいから。」という方もちらほらいらっしゃいました。そんなお声が頭を巡っていたとき。「ああ、もう一か八か、この食事に賭けてみよう」と思ったのです。

 バブル期に団体旅行を受け入れるために用意されたこの懐石料理。もちろん、お値段は湯治食よりも高く、単価が下がることは目に見えていました。が、これを辞めて、常連さんが喜んでくれている湯治食にすべての力を注ごうと決めました。その方が、「湯治宿らしい」と私達自身が強く感じたからです。もちろん、山菜懐石を食べたいと仰る方もいらっしゃいますが、湯治宿としての原点に戻り、その一本の矢をしっかりと磨き上げていこうと決めました。それに合わせ、HPやオペレーションを変更。右往左往しながら走り続け、、、早3年。

 ありがたいことに、今は中越地震、リーマンショック前の水準まで状態は持ち直し、なにより常連様が「前より良くなった」と仰ってくださいます。常連様が喜んでくれると、自然と、新しい世代のお客様も増えてきました。不思議なことに、サービスを絞ったことでクレーム、不満の声が激減しました。以前は「〇〇は同じ値段でこんなことやっていた」「ほかの宿は〇円でこんな料理が出てきた」という内容が多かったですが、比べられることがなくなりました。これからも、もっともっと、自分たちの個性を、磨いていこうと、今も日々考え続けています。

 

胸を張って言います。私は社会の歯車です。

 私は、世の中の歯車です。断言します。私は特に、これといった才能がありません。社会に大きな変革をもたらせるとも思っていません。私がいなくても世界は回ります。なんのことはありません。

 でも、どんなに小さくても、私がしたことで喜んでくれる人がいます。私がいることで、逆に怒らせてしまった人も、困らせてしまった人もいます。ごめんなさい。だから、私は世の中の歯車だと思います。誰しも、否応なく歯車だと思っています。どんなに、とてつもない影響力のある人でも、誰にも知られない私みたいな普通の人間でも。近くにいる人たちに、少しずつ何か影響を与えていて、そして、それが歯車のように、世の中を動かしている。だから、大小気にせず、自分の出来ること、やりたいこと、やらなければと思ったこと、気にも留めなかったけど偶然できてしまった事、失敗して迷惑かけてしまった事、いろんな事で、周りの人達と関わりながら、また影響されながら生きています。

 私はそんな考え方ですので、「私は会社の歯車にはならない!」っていう考え方の方とは合わないかもしれません。でも、違うからこそ、何か生まれるかもしれません。それは、わかりませんが、私はそんな風な価値観を持っています。

「成長」より、「変化」を楽しむ、方が性に合う

 私は20代の頃「自己成長」「生涯成長」「全てが学び」「成長以外は衰退だ」こんな言葉に敏感で、「会社も成長させなければいけない」「自分自身も成長しなければいけない」という考え方をしていました。会社も規模が大きいことは、それだけ社会に貢献している証拠で、自社もそうでなくてはならない。と。「会社の規模」「売上」「雇用者数」などは、社会への貢献度などを図る上での、参考になります。とても重要です。

 ただ、今はほとんど気にしていません。そういう指標が、山奥の山宿には、ちょっと似合わないし、不自然だなー、と思っていました。400年くらい、宿が続いていますが、時期により多少の変化はあれど、宿の規模はほとんど今くらいだと聞いています。これって400年、成長していなかったのか?衰退もしていなかったのか?そもそも、成長って、衰退って、なんだろうか?

 こんなことを考えるようになって、言葉選び、でしかないかもしれませんが、感覚として腑に落ちるものがありました。「成長」ではなく、400年間「変化」してきたのだという感覚。先代、先先代の頃からの話を紡ぐ限りでも、宿の様相はこの100年間でも大分と変化している模様です。宿泊体系や料金は目に見えて分かりやすいのですが、それ以外にも、温泉に関わる文化や、お客様の温泉へ求める価値など、今とはかなり違った世界だったんだなと感じます。きっと、その前の300年くらいもきっと同じ様に変化し続けてきたのでしょう。

 だから、私も「成長しよう」とか「成長しなければ」というよりも、時代時代に感じた様に「変わっていこう」と、考えるようになりました。私個人も働くスタッフ個々も、そういう感覚の方が、きっとこういう場所にはしっくりくるのだと思います。そして、その変わることを、おもしろおかしく、またやり甲斐に感じられれば、それはとても幸せなことだと思います。

自分の人生の時間を大切にして欲しい

私の口癖は「なんで?」と「どうしたらいいと思う?」と「生産性高めよ」です。スタッフからは「いじわるな奴」と言われていると思いますし。「俺っていじわるだよね」っていうと、みんな笑うので、たぶんたくさん陰口言われています。笑

私が働くスタッフと共有したいことは「答えが見えないことを、自分たちで探していこう」ということです。今の時代「こうすればいい」という仕事はほとんどありません。こうすればよかった。ことは多々あれど、誰にも、それがいいものかどうか判断が難しいのです。私自身は、自分のとった行動が大なり小なり、人が喜んでくれたり、反応を示してくれたりするとすごくうれしいし、次のエネルギーになります。そういう体験を、スタッフ一人ひとりにたくさん体験して欲しい。でもそれは、自分で決断したから結果に対して一喜一憂できるのであって、人の決めたことには批評はすれど、感情はあまり動きません。だから、あえて「なんで?」「どうしたらいい?」とあまり自分の答えを言わないようにしています。そういう、いや~な上司です。笑

「生産性を高めて」というのは、単純に、自分の人生という時間を削って仕事をしているわけですから、それが好き嫌い、楽しい楽しくない、とは関係なく、より多くの対価をもらえるよう、一人ひとりが努力して欲しいからです。一人ひとりの努力がチームの力になると考えていますから(もちろん、全体の構造変革や編成によるところも同じくらい重要です)それは、チームのため、お客様のためになります。それは当然のこと。他人のためはもちろん、自分のため、自分の家族のためにもお給料を高める努力をして欲しい。1時間の仕事が30分でできたら、次の新しい仕事に取り組めます。それはお客様にとっての新たな価値になる、可能性が増えるということ。当然、お客様の喜ぶ仕事ができる人は、給与所得が高くなります。だから、生産性を高める=1時間、1日という人生の時間を大切にする。ということだと考えているのです。

自在館の心(理念や方針、考え方)

日本にもっと、良い静養を

こんな人が宿をやっています

採用概要(給与や体制など)