道の行き止まりに、「自在館」を含め、3軒の宿が寄り添うように静かに佇んでいる。栃尾又温泉の手前にある大湯温泉は、奥只見ダム工事(1954年着工~1961年完成)の折は、歓楽温 泉地として大いに賑わった。そんな中でも、8世紀前半の奈良時代(養老年間)に開湯したという、1250年以上の歴史ある栃尾又温 泉は、時代の流れに迎合することなく、現代に繋がっている。
その栃尾又温泉の中で、“本家”の扱いを受けているのが、ここ「自在館」。湯治宿としては、江戸時代初頭のあたりの慶長年間(1596~1615年)に創業したと伝えられている。宿としても、400年の歴史があるという事だ。創業当時は「守右衛門(もりえもん)」という屋号で営んでいたらしいが、江戸時代末期に湯治に訪れた 旅の尼僧により、般若心経の冒頭に書かれている観自在菩薩の名から 「自在館」とするように勧められた事で現在の屋号となった。ちなみに、観自在菩薩とは、よく言われる観音様(観音菩薩)のこと。この宿のシンボルとして、パンフレットなどでイラストにもなっている。
栃尾又温泉は、湯治場の面影をいまだに残す温泉地。古より、交通手段がない時代から、ここの温泉を目当てに人々が訪れた。
カラダの不調がなくなった、病気が治った・・・ といった、今でいうクチコミ によって、この温泉地は知られてきた。
科学の進歩によって、その泉質がラジウム泉(放射能泉)である事が分かると、さらに病気根治のための客も増えるようになった。
最近では、湯治という言葉も見直されるようになり、以前のような3週間以上の長期滞在ではなく、2泊3日や3泊4日といった、短期湯治が人気となっている。
それでは、いい湯治場とは?何なのか検証してみたい。
第一に、当たり前だが本物の温泉、療養泉であること。
第二に、その温泉が、循環などせず、かけ流し(放流式)になっていること。
第三に、温泉を浴用だけでなく、飲用もできること。
第四に、静かな環境の場所であること。 できれば、観光地化されていない山間部などリラックスできるところがいい。
第五に、長期滞在が可能なリーズナブルな料金体系の宿であること。
いかがだろうか。この5つの条件、に見事すべて当てはまっているのが、ここ「自在館」なのである。
今、「自在館」は、ガンなど重大な病気を抱えている人たちも訪れてはいるが、それでも全体の3%ほど。3割は、この宿が「日本秘湯を守る会」に加盟している事もあり、いわゆる秘湯温泉ファンの方。 そして、大半のお客は、この「自在館」の温泉、料理、雰囲気など、この宿ならではの存在価値に惹かれ て、保養と観光を兼ねて訪れているようだ。
ご夫婦やカップルには、渓流沿いの貸切露天風呂がある。ぬる湯で本格的な長湯を体験したい人には、「霊泉 したの湯」がある。
とにかく、今の状況をリセットしたい、 リフレッシュしたい人には、最高の自然の環境がある。
そして、忘れてならないのは、料理。山の宿ならではの、素朴な献立ではあるが、ひとつひとつが懐かしく、心がこもっている。
なかでも、常連客が絶賛するのが「岩魚の炭火焼」。炭火でじっくりと焼き上げるので骨までいただける。清流で育っているので、川魚特有の臭みもない。
全国に岩魚を提供する宿は数あれど、私はこの宿の炭火焼をナンバーワン!にあげたい。
歴史のある湯宿であるゆえ、数々の伝承も残っている。
前述の温泉の効能などもそうだが、ここの温泉は、古くから「子宝の湯」としても崇められていた。
その証拠に、宿の裏手にある「栃尾又薬師堂」には、子授け祈願の小さなキューピー人形と同じくらい子供を授かったという、お礼参りのキューピー人形が奉納されている。
この堂を囲むように、樹齢400年を超えるという根元が2つに分かれて胎内くぐりができる「夫婦欅」 や、天然記念物に指定された「子持杉」などが聳え立っており、パワースポットとしても知る人ぞ知る存在。なんとも言葉では表現できない、スピリチュアルな空気が漂っていた。
「自在館」は、今風にお洒落にデザインされた客室があるわけではない。洗練された、最先端の料理が出るわけでもない。しかし、ここには、長い年月をかけて辿り着いた、老舗ブランドのような、大人の雰囲気がある。それは、最近できたような宿には、絶対マネのできないものなのだ。 だからこそ、400年以上も続いている。その奥深さを備える「自在館」は、400年前の人たちにも、現代人にとっても必要だからこそ生き残っている。超ロングセラーの神髄を、ぜひ体感していただきたい。